【著書紹介】自主・平和な社会へ

昨今、ウクライナ情勢始め、アジア諸国の緊張感の高まりなど、平和で協調する世界を願う人々の思いに逆行して、各国は、歴史を繰り返すがごとく戦争への準備を進めている。

戦争は多くの命を奪う一方で、巨大な軍需産業を有する帝国主義国は、莫大な利益を得ることができる。そのため、帝国主義国にとってみれば、世界情勢は不安定である方が都合が良いという訳である。

かくいう日本も米国という帝国主義国に従属することで、近隣諸国との関係を悪化させ、自国で平和を目指す体制を築けずにいる。

自主性のない国は、政治や経済、外交などについて、自国で決定することができず、大国に忖度した意思決定をしなければならない。

こうした帝国主義による支配の中で、朝鮮民主主義人民共和国は、世界に先駆けて自主を勝ち取り、唯一の政治思想である“チュチェ思想”を確立した。

いまや、チュチェ思想は、アジアだけでなく、アフリカやラテンアメリカ、ヨーロッパなど世界中で学ばれ、その重要性が広く認識されている。

日本においてもその例外ではなく、各地域で定期的に研究会が開催されるなど、チュチェ思想の学習や普及に努めてきた。

しかし、その道のりは決して平坦なものではなかった。たとえ病に冒されても、その生涯をかけ命がけで活動を続けてきた方々がいたからこそ、現在までチュチェ思想が受け継がれてきた。

この混沌とする世界で、各国が自主を確立することがどれほど重要が、そして、平和な世界を願って活動してきた先生方がいたことを知ると、今を生きる者として身が引き締まる思いになる。

本書には、チュチェ思想の重要性、そしてこれまでの普及活動について記されている。

日本が対米従属から抜け出し、政治・経済・外交など様々な場面で自主的な判断ができる時が一刻も早く訪れるように、また、対米従属のままでは真の平和は訪れないことを知るために、本書が多くの方の手に届くことを願っている。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【日朝平壌宣言20周年】

2022年は、日朝平壌宣言が発表されて20周年目である。

この節目の年に、これまでの20年を振り返ると、残念ながら日朝関係が良い方向に進展したとは言えない。

過去には、1990年に三党合意、1993年に河野談話、1995年に村山談話を発表するなど、日朝国交正常化に向けて前進していたと思われるが、安倍政権発足以降、こうした歩みは止まった。

元来、日朝平壌宣言では、

前文:両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事案を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが双方の基本利益を合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した

1項:2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開する

2項:日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した

3項:双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した

とされており、国交正常化に向けて、最も優先されることは、「過去の清算」であることが明らかになっている。

つまり、過去の清算をする前に、拉致問題や核ミサイル問題を解決しようとしていた安倍政権の立場は、日朝平壌宣言に則っているとは言えなかったということである。

しかし、岸田政権発足後も、拉致問題を優先する方針を転換することなく、「過去を清算して国交正常化交渉を再開する」という日朝平壌宣言の目的を果たさずにいる。

日朝平壌宣言は、「過去の清算」を行った後、「国交正常化交渉を行う」という日本と朝鮮民主主義人民共和国の両政府が合意した価値あるものである。

日朝平壌宣言が発表されてから20年がたった今、改めて、この宣言の意味を再認識する必要がある。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【旧暦について】

旧暦とは、「太陰太陽暦」のことで、現在、私たちが使用しているのが「太陽暦」である。太陰太陽暦から太陽暦に改暦されたのは、1872年11月、太政官布告「明治5年(1872年)12月3日を以って、明治6年1月1日とする」としてからである。

朝鮮では、1895年(明治28年)、中国では1912年(明治45年)に、同じく太陰太陽暦から太陽暦に改暦している。世界で広く使用されている歴には、このほかに「太陰暦」がある。

太陽暦は、太陽の運行を基準にした暦。地球が太陽を1周するのに365.2422日かかっている。これを基に4年に1度、2月を29日として閏年として定め、実太陽年との誤差を修正して1年を365日とする暦となった。

太陰暦は、月のサイクルを基準に1年を定めた暦。月が地球の周回軌道を1周するのは約29.53日かかる。その12か月は354.37日で、この「月ごよみ」を1年としている。1年を354日(または355日)となるように、29日の月(小の月)と30日の月(大の月)に分けた暦で、主としてイスラム教徒の生活基準となっている。

太陰太陽暦は、月と太陽の両方の運行を取り入れた暦。月の1年(354日)は太陽の1年(365日)に11日足りないから、19年間に7回、13カ月の月を作り「閏年」とした。閏年は13カ月となり、1年は384日前後となる調整暦を作った。この暦は、月と太陽の運行をうまく取り入れており、農作業(植物のバイオリズム)のリズムとも合っているため、「農暦」とも呼ばれている。月の自然界に対する作用の重要性に気づいた人達によって作られ、約4千年前の中国・黄河流域の農耕民族によって発展した。アジア地域の農耕民たちの生活習慣や信仰リズムとして用いられ、日本には6世紀後半に伝来したといわれている。改暦されたとはいえ、日本でも戦前戦中、1960年代ごろまでは農村を中心に農暦、生活習慣暦としてよく使用されていた。

朝鮮半島では、日本の植民地時代はずっと、特に一般民衆は旧暦の生活リズムで暮らしていた。チェサ(祭)も正月も、さらに重要な歴史的な事柄をそれぞれの生年月日まで、旧暦を用いたといわれている。これは、生活習慣化・社会習慣化していたからともいえたが、意識して使用していた人々もおり、総じて旧暦リズムを使用することで、日本帝国主義への抵抗を表明していたのかもしれない。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【高知チュチェ思想研究会・報告】

 7月10日、参議院議員通常選挙が行われる。

 選挙をめぐっては、「若者の投票率が少ない」、「だれに投票しても同じ」などという声が度々聞こえる。若者目線からすれば、若者全員が選挙に行って投票したところで、この日本の高齢化社会においては、若者の数が圧倒的に足りず、投票してもあまり意味がないように思える。

 また、政治家の中には、この状況を鑑みて、高齢者に都合のいい政策を打ち出すことで投票数を稼ごうとする者もいるかもしれない。こうした背景が若者の政治離れ(ある種の“諦め”も含めて)を加速させているのだと思う。

 しかし、私の周りには、これからを生きる若者のため、社会をより良くするために活動している人がたくさんいる。政治の不正腐敗からコロナ対応、非正規労働者といった問題まで幅広く、一部の特権階級による搾取に疑問を持ち、真に国民のための政治とは何かという点について、日々、考えを巡らせている。

 朝鮮における基本理念「人民大衆第一主義(すべての人民の為に、すべてを人民大衆の為に依拠する)」を先行事例として、日本でも同じように国民一人一人のための政治が行われるためには、現在の資本主義社会に蔓延る搾取制度を改善しなければならない。

 そのためには、米国を始めとする帝国主義国による支配からの脱却が重要となる。米国に対する従属は、日本国内における政治に大きく影響を受けることになる。

 最近の加速する円安についても、米国がインフレ抑制のために金融引き締めを行っているのに対し、日銀は大規模な金融緩和を継続している。この日米の金融政策の方向性の違いによって円安が進むことになっているが、日本では、円安の恩恵(輸出業、観光業)を受けることなく、ただただ輸入品の物価が上昇するという悪循環から抜け出せていない。

 資本主義社会においては、より資金を持っている国や資本家には逆らえない傾向にあり、政策などはすべて力のある側に左右される。これは、金融市場に限った話だけではなく、周辺国との関りにおいても資本主義国(帝国主義国)による影響は大きい。

 特に、日本は、朝鮮を始め、中国、ロシアといった周辺国と良い関係を築かなければならないが、米国にしてみれば、アジア諸国が平和であると軍需産業が停滞するため、できるだけ緊張関係であってほしいと思っている。日本が周辺国と友好関係を持とうとすると必ず横槍が入るのはそのためである。

 このように、日本では、政治に積極的に参加しなければ、知らず知らずのうちに帝国主義に侵されてしまう。朝鮮のように、人民一人一人が主人となり、自国のことは自国で決められる自首の国になるため、これからも政治について考え、活動していかなければならない。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【日本国籍と朝鮮戸籍】

 戦前、日本は朝鮮人の日本人化(皇国臣民化)を強要する一方で、婚姻・戸籍などでは日本人との同化を認めないという二重基準的差別で対応していた。

 1910年(日韓併合)以後、すべての朝鮮人は強制的に日本国籍を持たされ、日本人(大日本帝国の臣民)となった。しかし、それは、日本人とは別途の「朝鮮戸籍法」が適用された「日本人」であって内地人(日本人)とは区別された外地人(朝鮮人)であった。

 朝鮮半島だけでなく、日本および中国(旧満州)に居住していた朝鮮人を含むすべての朝鮮人を「朝鮮国籍」と記載したため、たとえ日本に帰化したとしても(日本の敗戦後)、その戸籍から朝鮮人であることは分かった。

 朝鮮戸籍から日本国籍への移動は、婚姻・養子・認知による入籍以外は認めなかった。朝鮮解放後の1947年5月、外国人登録法が施行され、暫定処置として登録戸籍欄に「朝鮮」と記入することになり、日本人でもなく外国人でもない中途半端な存在にされた。

 しかし、1952年4月28日にサンフランシスコ条約が発効するまで、在日朝鮮人は一定のカッコ付きでの「日本国民」であった。

 なお、公文書上での「韓国」の用語は、1950年4月以降のことである。それまではすべて朝鮮であった。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【朝鮮の初等教育】

 日本の朝鮮植民地教育の基本は、忠良なる国民(日本人)のいくせい、日本人と朝鮮人別学制度、義務教育制ではないこと(1943年からは、徴兵制とセットでの義務制導入)などがあげられる。

 まず、1906年の「普通学校令」で、初等教育機関の名称を「小学校」から「普通学校」に改め、公立普通学校(日本の学校は、尋常学校)での就業年限を6年から4年に引き下げた。朝鮮語を「国語」とする一方、新たに日本語を1年生から週6時間課している。

 第一次朝鮮教育令(1911年)で、授業料を徴収(義務制ではないため)し、4年制の普通学校と2年制もしくは3年制の高等普通学校を中核とする教育制度とした。

 第二次(1922年)で、内地延長主義とし、初等教育6年、中等教育5年を修業年限をそれぞれ延長し、1面1校の普通学校増設計画を推進した。(36年、初等教育就学率は25%)

 第三次(1938年)で普通学校の名称が日本と同じ小学校となった。1941年、日本と同じく国民学校となったが、初等科と高等科の区別をしない6年制や、以前と同じ4年制の存続も認められた。

 すべての学校の校長は日本人で、一般訓導に朝鮮人というスタイルがとられ、教科書も校内での会話もすべて日本語しか認めなかった。日本語を話し、勤勉に働く従順な日本人助手づくりを目指していたのだといえる。いわば、日本人養成学校であった。

 このように、日本人化教育・政策を強行していたにもかかわらず、日本語を理解していた(読み書き)朝鮮人は、1929年8%、1942年20%、1945年35%と低い。社会人にも強制的に国語普及運動を行っていたわりには、少ない数字である。これは、朝鮮民族の誇り高い民族精神が、日本人化への抵抗を示した数字上の表現であったといえる。

文:愛媛現代朝鮮問題研究所

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【ウクライナ問題を巡って】

 最近、ウクライナ情勢に関する報道が世間をにぎわせている。

 ロシア軍によるウクライナへの介入。特に、負傷したウクライナの子供たちの映像や家族を失った人々に対するインタビュー映像は見るものにとっても心苦しいのではないだろうか。

 このように、連日、ウクライナ情勢が取りざたされる中、報道では「ロシアは軍事侵攻をやめろ」「ロシアは悪である」などと、とりわけロシア批判をする主旨のものが多い。

 しかし、これまでの報道を見ているうちに私は少し違和感を感じた。

 徹底してウクライナを擁護し、ロシアを非難する。これは、まさに偏向報道である。

 現に、ロシアの行動の理由についてはあまり触れられず、ウクライナ側が受けた被害ばかりが強調されている。

 ロシアが何の理由もなくウクライナに侵攻するはずがない。

 発端は、NATOによるウクライナ進出である。例年、NATOの勢力拡大を巡って緊張が走っている中、ロシアと国境を接するウクライナがNATOに加入した場合、ロシアにとっては、アメリカがすぐ近くにいることと同義である。

 報道されているロシア側の目的は、この現状を打破するための自己防衛のため行動であることを認識する必要がある。

 また、ウクライナ側に関しても政府が対米従属的な判断を続けていく限り、この争いは終わらない。早急にウクライナからNATOを追放し、自首の道を歩まなければ平和は訪れない。

 正しい判断をし、民衆への犠牲が少しでも少なくなることを願う。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

 

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【北東アジアの平和について】

 先日、高知県で開催された「チュチェ思想と日朝友好・平和の集い」に参加し、朝鮮大学校の先生やチュチェ思想研究所、大学教授の方々による講演を聴く機会があった。

 講演は、大変熱気に包まれており、チュチェ思想を学び、日朝友好と北東アジアの平和を目指す仲間が日本中にこんなにいるのだと私自身、胸が高鳴る思いになった。

 そこで、今回、様々あった講演の中の一つである島根県立大学教授の福原裕二先生のお話と、その中で私が感じたことについて紹介したいと思う。

 講演の中で、福原先生は、SDG‘s(17個の持続可能な開発目標)が目指す社会を例に挙げながら、だれ一人取り残さない北東アジアの平和実現を18個目の目標にして尽力していきたいと述べていた。

 現在、日本と諸外国との間には様々な問題が存在する。日本ほど近隣の国々と問題を抱えている国はないといわれるほどだ。

 それにも関わらず、日本は、こうした諸問題に対して消極的で、むしろ開き直っているとさえ感じられる。

 この現状を踏まえると、日朝問題や日韓問題などと言われるものは、まさに「日・日問題」ということになる。

 北東アジアの平和実現に向けては、日本自身が主体的に解決しようと行動すれば、解決できる問題も多い。

 以上が講演の中身を簡単にまとめたものであるが、私としても近隣諸国との問題が解決に至っていない大きな理由は、まさに日本側の姿勢にあると考えている。

 日本が米国の影響下にあるが故に自身の問題を自力で解決することができず、問題を先延ばししてきた結果が今である。

 米国に対し従属することが日本と近隣諸国との歴史問題の解決を妨げる要因でもあるため、主体的に物事を判断する姿勢や取り組みが重要になる。

 講演でもあったが、「反日」という言葉は、日本人そのものに対する反対を意味するものではなく、日本帝国主義に対する反対という意味である。

 こうした認識を持つことから始め、歴史を正しく認識し、近隣諸国と友好的な関係を築けるように学びを深めていきたいと感じた。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所

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著書紹介「えひめ在日一世たちのシンセタリヨン」

 本書は、2005年、日本の敗戦・朝鮮の解放60年にあたる年に執筆されたものである。

 日本の敗戦直前に強制連行された朝鮮の青年・少女たちも2022年現在、100歳を超えている。

 本書では、名田隆司先生が2005年時点で存命する在日一世の朝鮮人の方々に対して聞き取りを実施する様子が記されている。

 2005年の話とはいえ、既に80歳を超える方々への聞き取りである。

 そのため、これが最後の聞き取りになるかもしれないという思いで実施されたことと思う。

 また、在日朝鮮人の方々にとっては、高齢で闘病を続ける方も多い中、昔の話などしてもどうにもならないと考えていた方もいたと思う。

 しかし、先生の朝鮮に対する姿勢は、在日朝鮮人の方々の心を動かし、本書では7名の方に聞き取りを実施することができた。

 なかには、過去のことを思い出し、涙を流す人もいたという。

 先生は、これら聞き取りの難しさについて、「たかが聞き取り作業というなかれ。それを語り出す彼等の複雑な心中との葛藤こそが、個人史を超えた在日朝鮮人史なのだから。聞き取る側でその言葉にならない呻吟を聞き分け、聞き取るだけの努力と研究を重ねておく必要があるのは当然のことだ」と述べている。

 実をいうと、私は、本書を読む中で、この言葉が一番心に響いた。

 歴史を知るためには、その時代を生きた方々に直接聞くのが一番早いが、そのためには、聞き取りされる側の気持ちをきちんと推し量る必要がある。

 それをしなければ、独りよがりの聞き取りになってしまい、決して朝鮮の方々のためにはならない。

 今後、朝鮮問題を考える上で、この言葉を心に留めて大切にしたい。

 また、本書で記されている7人の在日朝鮮人の方々の言葉をぜひ、日本・朝鮮問わず多くの方に知ってもらいたいと思う。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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横網町公園~関東大震災朝鮮人犠牲者~

(写真:横網町公園 正門前)

 1923年9月に発生した関東大震災の混乱の中で誤った策動と流言飛語のため6000余名にのぼる朝鮮人が尊い生命を奪われた。

 「東京都慰霊堂」や「復興記念館」で知られる横網町公園の一角に、関東大震災後、不当に殺傷された朝鮮人を追悼する石碑を見つけた。

 前代未聞の大震災発生時、多くの人たちが冷静な判断力を失い、不安に駆られた結果、様々な流言が生み出され無秩序に拡散した。

 その中で特に流言の被害にあったのは、朝鮮人であった。

 「鮮人襲来」という噂を受けて、政府は緊急勅令による戒厳令を宣告した。これによって、警視庁が流言を発した者に処罰を下すとの通知を出したり、市民による自警団が組織され、多くの朝鮮人や朝鮮人と間違えられた中国人や日本人が暴行・殺傷された。

 この関東大震災で殺された朝鮮人の数について、司法省の発表では233人であるが、在日本関東地方罹災朝鮮同胞慰問班朝鮮人虐殺数最終調査報告によると6,661にのぼるとのことである。

 どうしてこれほどまでに数字が乖離しているのか。それは、当時の日本政府が朝鮮人虐殺の事実を隠すために証拠隠滅や政治的妨害を行ったことが考えられる。

 また、司法省の調査では、民間人の朝鮮人虐殺のみを挙げており、軍隊や警察の朝鮮人虐殺は除外しているとのこと。

 当時の殺された朝鮮人の数は定かではないものの、謂れのない噂話で多くの朝鮮人が傷ついたことは、まぎれもない事実である。しかし、こうした事実は、時間の経過とともに忘れ去られていく。

 四国の中にも朝鮮人にまつわる地が多くあるが、そうした地に赴いても朝鮮人がいたことを示すものは数少ない。

 悲惨な歴史がなかったことにならないようにこの研究所でも更に発信をしていきたいと再認識できた。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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