映画紹介「タクシー運転手~約束は海を越えて~」

 歴史を学ぶには、書物を読んだり、歴史を知る人に話を聞くなど色々と方法はあるが、このほかにも史実をもとにした映画を見ることでも歴史に関する知見を広めることは可能である。
 そこで今回は、韓国で大ヒットした映画「タクシー運転手~約束は海を越えて~」を紹介したいと思う。

 「タクシー運転手~約束は海を越えて~」は、1980年5月、韓国で起きた「光州事件(※)」の最中、戒厳令下の言論統制をかいくぐり唯一、光州を取材したドイツ人記者ユルゲン・ヒンツピーターとそのドイツ人記者をタクシーに乗せ、光州の中心部に入っていった平凡なタクシー運転手キム・サボクをモチーフにした映画である。

 ソウル市に住む平凡なタクシー運転手キム・マンソプ(役:ソン・ガンホ)は、ある日、日本から光州の取材にやってきたドイツ人記者ピーター(役:トーマス・クレッチマン)の「通行禁止までに光州に行ったら大金を支払う」という言葉につられ、ピーターと共に光州を目指すことになる。

 しかし、言論統制が行われている光州の現状をソウルで生活していたタクシー運転手マンソプは知らない。危険な目に遭いながら光州を目指す中で一度はピーターを見捨ててソウルに戻ろうとする。
 それでも正義感の強いマンソプは、仲間のタクシー運転手たちと力を合わせピーターの取材活動に協力するのであった。

 こうした二人とその仲間たちの決死の努力の結果、ピーターが取材した映像が世界中に報道されることになった。もし、二人がいなければ光州での軍人と市民の衝突が闇に葬られていたかもしれない。

 韓国現代史上、最大の悲劇ともいわれる「光州事件」。多くの市民が亡くなり直視しずらい歴史であるかもしれないが、この映画をきっかけに、光州事件について知る人が増えていけばと思う。

(※)
 「光州事件」とは、1980年5月、韓国全羅南道の道都であった光州市で大規模な反政府蜂起が起こり、軍隊の武力鎮圧により多数の死傷者を出した事件である。
 光州市のデモでは、非常戒厳令の解除を求める学生の5月18日の街頭デモに始まり、警官隊、軍隊との衝突が繰り返される中で一般市民を巻き込んだ騒乱に発展し、5月21日には20万人の群衆が市内の各公共機関を占拠。
 これに対し、戒厳令司令部は5月27日、約2万5000人の実戦部隊を突入させ市内を制圧した。
 「光州事件」の被害者は公式発表されているだけでも死者191人、重軽傷者852人とされている。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

 

 

 

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朝鮮人動員の地を巡る。「詫間町香田海軍航空基地建設場跡」

(写真:史跡 詫間海軍航空隊跡)

 今年5月に研究所で紹介した朝鮮人動員の地「観音寺市海軍飛行場」に引き続き、今回は、太平洋戦争中に朝鮮人らによって掘られ、軍が防空壕兼倉庫として使用していたとされる隧道(トンネル)をはじめとする「詫間町香田海軍航空基地建設場跡」について紹介したいと思う。

 今回も「朝鮮人強制連行調査の記録-四国編-」を参考に現地に赴き、本書の記載内容とともに当時の様子を伝えることができればと思う。

(写真:詫間海軍航空隊跡 神風特攻隊出撃の地)

 1943年、現在の香川県三豊市詫間町香田に、軍の水上機実機練習を目的として航空基地が建設された。そして、この基地建設に伴い、多くの住民が強制移転させられたそうだ。
 この基地は、はじめこそ海軍航空隊の訓練場として使用されていたものの、太平洋戦争の戦況が悪化すると沖縄戦に備え、水上偵察機による神風特別攻撃隊が編成され、多くの若い命が散っていった。

 こうした歴史の陰で、多くの朝鮮人が基地建設のため過酷な労働を強いられてきたことを知るものは少ない。                     

 当時、基地周辺には、9カ所の隧道(トンネル)が建設されており、燃料や爆弾が収納され、指揮所や無線通信施設としても利用されてきた。

 これら建設には、かなりの朝鮮人が動員されたが、その正確な人数は未だに明かになっていない。
 しかし、当時、女子工員として建設作業に携わった老婦人は、「朝鮮人用の建物が2つ作られ、150人くらいいたようだ」という。

 日本人の男性は兵隊に行っていたため、女子工員の多くがトロッコを押す仕事に従事していた。このほか、発破を仕掛ける作業(爆薬を仕掛けて岩や建物などを爆破すること)など危険な作業は朝鮮人が行っていたという。

 この基地周辺には、朝鮮人労働者が集団生活をし、防空壕堀に携わっていたとされるが、これら朝鮮人が強制連行されてきた人がどうかについて詳しいことを知っている人はいない。
 防空壕を視察した調査団によると、「この工事が当時としては大規模な工事であり、また、極めて困難であったことは一目で実感できるものであった」としている。

 現在、防空壕は立ち入りできないよう封鎖されており、周辺の石碑などにも朝鮮人労働者が建設に従事していたという記録は見当たらない。
 この地は、神風特別攻撃隊出陣の地だと知られている一方で、朝鮮人労働者の存在があったことについて知るものは少ない。

 「朝鮮人強制連行調査の記録-四国編-」が発行された1992年ですら風化しつつあった朝鮮人連行の歴史。
 戦後76年経った今、こうした歴史はますます忘れ去られているように感じる。そうならないためにも、後世に真実を伝えていくことが研究所の使命であり義務であると思う。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

 

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