【人間中心の社会構築〜チュチェ思想がもたらす社会的な進化】

今回は、チュチェ思想に焦点を当てながら、朝鮮の社会構築における人間中心のアプローチと団結の重要性を紹介したいと思う。また、それらを踏まえた上で、日本社会への適用の可能性についても触れたい。

1.チュチェ思想の背景と基本理念

まず、チュチェ思想とは、朝鮮民主主義人民共和国の指導者である金日成主席によって提唱されたイデオロギーである。その中心にあるのは、人間中心の社会構築という理念である。つまり、国家や社会は人々の幸福と尊厳を最優先に考えるべきであり、それが朝鮮における社会的進化の土台となるとされている。

2.自己決定と団結の重要性

チュチェ思想では、「人民大衆第一主義」のもと、個々の自主性を重視する。自己決定と自己責任が個人や集団の成長を促し、社会全体の発展に貢献すると考えられている。これは、朝鮮が経験した植民地支配や外部からの影響を排除し、自らの道を歩むための重要な要素となっている。ただ、個々を尊重しすぎるが故に、団結できなくなってしまっては社会全体の発展を妨げてしまうこともある。そうならないために指導者や党が人民大衆の中に入り、人民の声を聞き、朝鮮の進むべき道を示すことで団結を固めている。

3.日本社会への適用の可能性

チュチェ思想の考え方を日本に活かすことができれば、より良い社会を構築できるのではないか。当然、朝鮮と日本では、歴史・文化・政治体制が異なっているため、全く同じようにするのは難しいかもしれない。しかし、国民一人ひとりが自主性を持ち、「1人はみんなのために、みんなは1人のために」の精神を学校教育や地域コミュニティの場で育むことができれば、社会が良い方向に向かっていくはずである。

日本のような資本主義社会は、個人主義化が進み、その結果、貧困格差の拡大を始めとする多くの問題を抱えている。自主の精神は、社会全体の発展のためにある。個人主義社会においては、集団全体の利益に重きを置くチュチェ思想を受け入れるのは困難かもしれない。しかし、弱きもののために考え、行動できる人間は個人主義社会からは生まれない。「社会全体のために自主的に考える」という意識を国民一人ひとりが持つことが大事である。すぐに社会が変わるということはないが、日常生活を通して、まずは身近な人たちとこの姿勢を共有することで、少しずつ社会全体の流れを変えることができると考えている。

【愛媛現代朝鮮問題研究所】

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【紹介】朝鮮の代表的な無形文化遺産


今日、民族固有の風俗、伝統を保護し発展させ、文化的多様性を増進する無形文化遺産は、人類の文化的発展と国際的な理解、協力を図る上で重要な役割を果たす。

そこで、今回は、朝鮮にまつわる無形文化遺産について、紹介したいと思う。

朝鮮民族の代表的な無形文化遺産には、民謡「アリラン」、キムチ漬けの風習、シルム(朝鮮相撲)がある。

長い年月にわたって、それぞれの年代と社会制度、人々の中で広く歌われてきた「アリラン」は、世界に知られた朝鮮民族の代表的な民謡である。

初期の「アリラン」は、男女の恋愛関係を反映した素朴で平凡な歌謡であり、明るい世の中で幸せに暮らすことを願う当時の人民の志向と念願が素直に表現されていて、多くの人々の共感を呼び起こした。

「アリラン」は、家族や友人の間で歌われるだけでなく、重要な祝祭の日にも歌われる人気のある民謡である。

キムチ漬けの風習は、今も一年中、家族の重要な行事として継承されている。

晩秋になると、それぞれの家でキムチ漬け用の白菜をたくさん仕入れて、白菜を塩漬けにしては洗って、舌がひりひりとなる薬味を付け加えるなど、あの手この手を尽くしてキムチを漬ける。

その時、隣人や親戚、職場の同僚などが互いに助け合って漬けたキムチや薬味を近所や親戚に送ったり、試食してもらったり、アドバイスを受けたり、自慢をしたりして、キムチ漬けが上手くできたことを祝い合うことが朝鮮民族のキムチ漬けの風習である。

一つの食べ物を作る過程で、民族が時期を同じくして全体的に行いながら家庭同士の親睦、友誼を図る契機になる風習は、朝鮮民族のキムチ漬けを除いてはほかにない。

シルムは、二人の力士がサッパ(腰から右腿にかけて回す布)や腰に回した帯を掴んで組み、相手を倒し合う朝鮮固有の伝統的な体育種目である。

祝日には、大規模なシルムの試合が行われ、その会場は、あらゆる年齢層と男女の人々で賑わい、不屈の精神と応援の熱意を示した。

高句麗時代の古墳壁画にシルムの絵が描かれていることからも古い歴史を持っていることがうかがえる。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【著書紹介】自主・平和な社会へ

昨今、ウクライナ情勢始め、アジア諸国の緊張感の高まりなど、平和で協調する世界を願う人々の思いに逆行して、各国は、歴史を繰り返すがごとく戦争への準備を進めている。

戦争は多くの命を奪う一方で、巨大な軍需産業を有する帝国主義国は、莫大な利益を得ることができる。そのため、帝国主義国にとってみれば、世界情勢は不安定である方が都合が良いという訳である。

かくいう日本も米国という帝国主義国に従属することで、近隣諸国との関係を悪化させ、自国で平和を目指す体制を築けずにいる。

自主性のない国は、政治や経済、外交などについて、自国で決定することができず、大国に忖度した意思決定をしなければならない。

こうした帝国主義による支配の中で、朝鮮民主主義人民共和国は、世界に先駆けて自主を勝ち取り、唯一の政治思想である“チュチェ思想”を確立した。

いまや、チュチェ思想は、アジアだけでなく、アフリカやラテンアメリカ、ヨーロッパなど世界中で学ばれ、その重要性が広く認識されている。

日本においてもその例外ではなく、各地域で定期的に研究会が開催されるなど、チュチェ思想の学習や普及に努めてきた。

しかし、その道のりは決して平坦なものではなかった。たとえ病に冒されても、その生涯をかけ命がけで活動を続けてきた方々がいたからこそ、現在までチュチェ思想が受け継がれてきた。

この混沌とする世界で、各国が自主を確立することがどれほど重要が、そして、平和な世界を願って活動してきた先生方がいたことを知ると、今を生きる者として身が引き締まる思いになる。

本書には、チュチェ思想の重要性、そしてこれまでの普及活動について記されている。

日本が対米従属から抜け出し、政治・経済・外交など様々な場面で自主的な判断ができる時が一刻も早く訪れるように、また、対米従属のままでは真の平和は訪れないことを知るために、本書が多くの方の手に届くことを願っている。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【日朝平壌宣言20周年】

2022年は、日朝平壌宣言が発表されて20周年目である。

この節目の年に、これまでの20年を振り返ると、残念ながら日朝関係が良い方向に進展したとは言えない。

過去には、1990年に三党合意、1993年に河野談話、1995年に村山談話を発表するなど、日朝国交正常化に向けて前進していたと思われるが、安倍政権発足以降、こうした歩みは止まった。

元来、日朝平壌宣言では、

前文:両首脳は、日朝間の不幸な過去を清算し、懸案事案を解決し、実りある政治、経済、文化的関係を樹立することが双方の基本利益を合致するとともに、地域の平和と安定に大きく寄与するものとなるとの共通の認識を確認した

1項:2002年10月中に日朝国交正常化交渉を再開する

2項:日本側は、過去の植民地支配によって、朝鮮の人々に多大の損害と苦痛を与えたという歴史の事実を謙虚に受け止め、痛切な反省と心からのお詫びの気持ちを表明した

3項:双方は、国際法を遵守し、互いの安全を脅かす行動をとらないことを確認した

とされており、国交正常化に向けて、最も優先されることは、「過去の清算」であることが明らかになっている。

つまり、過去の清算をする前に、拉致問題や核ミサイル問題を解決しようとしていた安倍政権の立場は、日朝平壌宣言に則っているとは言えなかったということである。

しかし、岸田政権発足後も、拉致問題を優先する方針を転換することなく、「過去を清算して国交正常化交渉を再開する」という日朝平壌宣言の目的を果たさずにいる。

日朝平壌宣言は、「過去の清算」を行った後、「国交正常化交渉を行う」という日本と朝鮮民主主義人民共和国の両政府が合意した価値あるものである。

日朝平壌宣言が発表されてから20年がたった今、改めて、この宣言の意味を再認識する必要がある。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【旧暦について】

旧暦とは、「太陰太陽暦」のことで、現在、私たちが使用しているのが「太陽暦」である。太陰太陽暦から太陽暦に改暦されたのは、1872年11月、太政官布告「明治5年(1872年)12月3日を以って、明治6年1月1日とする」としてからである。

朝鮮では、1895年(明治28年)、中国では1912年(明治45年)に、同じく太陰太陽暦から太陽暦に改暦している。世界で広く使用されている歴には、このほかに「太陰暦」がある。

太陽暦は、太陽の運行を基準にした暦。地球が太陽を1周するのに365.2422日かかっている。これを基に4年に1度、2月を29日として閏年として定め、実太陽年との誤差を修正して1年を365日とする暦となった。

太陰暦は、月のサイクルを基準に1年を定めた暦。月が地球の周回軌道を1周するのは約29.53日かかる。その12か月は354.37日で、この「月ごよみ」を1年としている。1年を354日(または355日)となるように、29日の月(小の月)と30日の月(大の月)に分けた暦で、主としてイスラム教徒の生活基準となっている。

太陰太陽暦は、月と太陽の両方の運行を取り入れた暦。月の1年(354日)は太陽の1年(365日)に11日足りないから、19年間に7回、13カ月の月を作り「閏年」とした。閏年は13カ月となり、1年は384日前後となる調整暦を作った。この暦は、月と太陽の運行をうまく取り入れており、農作業(植物のバイオリズム)のリズムとも合っているため、「農暦」とも呼ばれている。月の自然界に対する作用の重要性に気づいた人達によって作られ、約4千年前の中国・黄河流域の農耕民族によって発展した。アジア地域の農耕民たちの生活習慣や信仰リズムとして用いられ、日本には6世紀後半に伝来したといわれている。改暦されたとはいえ、日本でも戦前戦中、1960年代ごろまでは農村を中心に農暦、生活習慣暦としてよく使用されていた。

朝鮮半島では、日本の植民地時代はずっと、特に一般民衆は旧暦の生活リズムで暮らしていた。チェサ(祭)も正月も、さらに重要な歴史的な事柄をそれぞれの生年月日まで、旧暦を用いたといわれている。これは、生活習慣化・社会習慣化していたからともいえたが、意識して使用していた人々もおり、総じて旧暦リズムを使用することで、日本帝国主義への抵抗を表明していたのかもしれない。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【報告会】

7月10日、参議院議員通常選挙が行われる。

選挙をめぐっては、「若者の投票率が少ない」、「だれに投票しても同じ」などという声が度々聞こえる。若者目線からすれば、若者全員が選挙に行って投票したところで、この日本の高齢化社会においては、若者の数が圧倒的に足りず、投票してもあまり意味がないように思える。

また、政治家の中には、この状況を鑑みて、高齢者に都合のいい政策を打ち出すことで投票数を稼ごうとする者もいるかもしれない。こうした背景が若者の政治離れ(ある種の“諦め”も含めて)を加速させているのだと思う。

しかし、これからを生きる若者のため、社会をより良くするために活動している人はたくさんいる。政治の不正腐敗からコロナ対応、非正規労働者といった問題まで幅広く、一部の特権階級による搾取に疑問を持ち、真に国民のための政治とは何かという点について、日々、考えを巡らせている。

朝鮮における基本理念「人民大衆第一主義(すべての人民の為に、すべてを人民大衆の為に依拠する)」を先行事例として、日本でも同じように国民一人一人のための政治が行われるためには、現在の資本主義社会に蔓延る搾取制度を改善しなければならない。

そのためには、米国を始めとする帝国主義国による支配からの脱却が重要となる。米国に対する従属は、日本国内における政治に大きく影響を受けることになる。

最近の加速する円安についても、米国がインフレ抑制のために金融引き締めを行っているのに対し、日銀は大規模な金融緩和を継続している。この日米の金融政策の方向性の違いによって円安が進むことになっているが、日本では、円安の恩恵(輸出業、観光業)を受けることなく、ただただ輸入品の物価が上昇するという悪循環から抜け出せていない。

資本主義社会においては、より資金を持っている国や資本家には逆らえない傾向にあり、政策などはすべて力のある側に左右される。これは、金融市場に限った話だけではなく、周辺国との関りにおいても資本主義国(帝国主義国)による影響は大きい。

特に、日本は、朝鮮を始め、中国、ロシアといった周辺国と良い関係を築かなければならないが、米国にしてみれば、アジア諸国が平和であると軍需産業が停滞するため、できるだけ緊張関係であってほしいと思っている。日本が周辺国と友好関係を持とうとすると必ず横槍が入るのはそのためである。

このように、日本では、政治に積極的に参加しなければ、知らず知らずのうちに帝国主義に侵されてしまう。朝鮮のように、人民一人一人が主人となり、自国のことは自国で決められる自主の国になるため、これからも政治について考え、活動していかなければならない。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【日本国籍と朝鮮戸籍】

 戦前、日本は朝鮮人の日本人化(皇国臣民化)を強要する一方で、婚姻・戸籍などでは日本人との同化を認めないという二重基準的差別で対応していた。

 1910年(日韓併合)以後、すべての朝鮮人は強制的に日本国籍を持たされ、日本人(大日本帝国の臣民)となった。しかし、それは、日本人とは別途の「朝鮮戸籍法」が適用された「日本人」であって内地人(日本人)とは区別された外地人(朝鮮人)であった。

 朝鮮半島だけでなく、日本および中国(旧満州)に居住していた朝鮮人を含むすべての朝鮮人を「朝鮮国籍」と記載したため、たとえ日本に帰化したとしても(日本の敗戦後)、その戸籍から朝鮮人であることは分かった。

 朝鮮戸籍から日本国籍への移動は、婚姻・養子・認知による入籍以外は認めなかった。朝鮮解放後の1947年5月、外国人登録法が施行され、暫定処置として登録戸籍欄に「朝鮮」と記入することになり、日本人でもなく外国人でもない中途半端な存在にされた。

 しかし、1952年4月28日にサンフランシスコ条約が発効するまで、在日朝鮮人は一定のカッコ付きでの「日本国民」であった。

 なお、公文書上での「韓国」の用語は、1950年4月以降のことである。それまではすべて朝鮮であった。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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【朝鮮の初等教育】

 日本の朝鮮植民地教育の基本は、忠良なる国民(日本人)のいくせい、日本人と朝鮮人別学制度、義務教育制ではないこと(1943年からは、徴兵制とセットでの義務制導入)などがあげられる。

 まず、1906年の「普通学校令」で、初等教育機関の名称を「小学校」から「普通学校」に改め、公立普通学校(日本の学校は、尋常学校)での就業年限を6年から4年に引き下げた。朝鮮語を「国語」とする一方、新たに日本語を1年生から週6時間課している。

 第一次朝鮮教育令(1911年)で、授業料を徴収(義務制ではないため)し、4年制の普通学校と2年制もしくは3年制の高等普通学校を中核とする教育制度とした。

 第二次(1922年)で、内地延長主義とし、初等教育6年、中等教育5年を修業年限をそれぞれ延長し、1面1校の普通学校増設計画を推進した。(36年、初等教育就学率は25%)

 第三次(1938年)で普通学校の名称が日本と同じ小学校となった。1941年、日本と同じく国民学校となったが、初等科と高等科の区別をしない6年制や、以前と同じ4年制の存続も認められた。

 すべての学校の校長は日本人で、一般訓導に朝鮮人というスタイルがとられ、教科書も校内での会話もすべて日本語しか認めなかった。日本語を話し、勤勉に働く従順な日本人助手づくりを目指していたのだといえる。いわば、日本人養成学校であった。

 このように、日本人化教育・政策を強行していたにもかかわらず、日本語を理解していた(読み書き)朝鮮人は、1929年8%、1942年20%、1945年35%と低い。社会人にも強制的に国語普及運動を行っていたわりには、少ない数字である。これは、朝鮮民族の誇り高い民族精神が、日本人化への抵抗を示した数字上の表現であったといえる。

文:愛媛現代朝鮮問題研究所

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【ウクライナ問題を巡って】

 最近、ウクライナ情勢に関する報道が世間をにぎわせている。

 ロシア軍によるウクライナへの介入。特に、負傷したウクライナの子供たちの映像や家族を失った人々に対するインタビュー映像は見るものにとっても心苦しいのではないだろうか。

 このように、連日、ウクライナ情勢が取りざたされる中、報道では「ロシアは軍事侵攻をやめろ」「ロシアは悪である」などと、とりわけロシア批判をする主旨のものが多い。

 しかし、これまでの報道を見ているうちに私は少し違和感を感じた。

 徹底してウクライナを擁護し、ロシアを非難する。これは、まさに偏向報道である。

 現に、ロシアの行動の理由についてはあまり触れられず、ウクライナ側が受けた被害ばかりが強調されている。

 ロシアが何の理由もなくウクライナに侵攻するはずがない。

 発端は、NATOによるウクライナ進出である。例年、NATOの勢力拡大を巡って緊張が走っている中、ロシアと国境を接するウクライナがNATOに加入した場合、ロシアにとっては、アメリカがすぐ近くにいることと同義である。

 報道されているロシア側の目的は、この現状を打破するための自己防衛のため行動であることを認識する必要がある。

 また、ウクライナ側に関しても政府が対米従属的な判断を続けていく限り、この争いは終わらない。早急にウクライナからNATOを追放し、自首の道を歩まなければ平和は訪れない。

 正しい判断をし、民衆への犠牲が少しでも少なくなることを願う。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

 

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【北東アジアの平和について】

 先日、高知県で開催された「チュチェ思想と日朝友好・平和の集い」に参加し、朝鮮大学校の先生やチュチェ思想研究所、大学教授の方々による講演を聴く機会があった。

 講演は、大変熱気に包まれており、チュチェ思想を学び、日朝友好と北東アジアの平和を目指す仲間が日本中にこんなにいるのだと私自身、胸が高鳴る思いになった。

 そこで、今回、様々あった講演の中の一つである島根県立大学教授の福原裕二先生のお話と、その中で私が感じたことについて紹介したいと思う。

 講演の中で、福原先生は、SDG‘s(17個の持続可能な開発目標)が目指す社会を例に挙げながら、だれ一人取り残さない北東アジアの平和実現を18個目の目標にして尽力していきたいと述べていた。

 現在、日本と諸外国との間には様々な問題が存在する。日本ほど近隣の国々と問題を抱えている国はないといわれるほどだ。

 それにも関わらず、日本は、こうした諸問題に対して消極的で、むしろ開き直っているとさえ感じられる。

 この現状を踏まえると、日朝問題や日韓問題などと言われるものは、まさに「日・日問題」ということになる。

 北東アジアの平和実現に向けては、日本自身が主体的に解決しようと行動すれば、解決できる問題も多い。

 以上が講演の中身を簡単にまとめたものであるが、私としても近隣諸国との問題が解決に至っていない大きな理由は、まさに日本側の姿勢にあると考えている。

 日本が米国の影響下にあるが故に自身の問題を自力で解決することができず、問題を先延ばししてきた結果が今である。

 米国に対し従属することが日本と近隣諸国との歴史問題の解決を妨げる要因でもあるため、主体的に物事を判断する姿勢や取り組みが重要になる。

 講演でもあったが、「反日」という言葉は、日本人そのものに対する反対を意味するものではなく、日本帝国主義に対する反対という意味である。

 こうした認識を持つことから始め、歴史を正しく認識し、近隣諸国と友好的な関係を築けるように学びを深めていきたいと感じた。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所

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