【書評】「たかし言質論第2集 朝鮮問題シンドローム」

本書は、月刊「マスコミ市民」と研究所のブログに掲載していた名田先生の記事をまとめたものである。本書の内、月刊「マスコミ市民」に掲載されている記事は前回(今年6月)に紹介させていただいたが、今回は過去に研究所のブログに掲載されていた記事について一部抜粋して紹介したいと思う。

 日韓・日朝関係を考えるうえで、避けては通れない強制連行問題。この問題について、名田先生の鋭い指摘を目の当たりにし、単純に日韓・日朝間が仲良くなるだけでは解決できないことを改めて認識することができた。

朝鮮人連行を考える(2013年3月18日 記)

朝鮮人強制連行とは、基本的に日本のどの歴史書においても日中戦争が全面戦に突入して以降の労働者や軍要員の不足を補うために、国策として実施した時期のことを中心に記述している。

 1939年、日本政府が「朝鮮労務者内地移送二関する件」を出し、同年、朝鮮総督府が「朝鮮人労働者募集ならびに渡航取扱要綱」を出すことで日本国家自らが朝鮮人労働者を積極的に移入する問題に関与していった。

 そこで、日本国家が朝鮮人強制連行に関わる時期が3段階に分かれていたことが説明されている。

1942年1月まで続く第一段階での「自由募集」の時期、1942年2月から1944年8月まで続く第二段階での「官斡旋」の時期、1944年9月からの第三段階での「徴用方式」の時期である。1939年以降は、日本国家の国策として朝鮮人労働者を強制連行して戦争遂行補充要員として送り込んでいたのだ。

これら3段階の内、「自由募集」の時期があるが、これはあくまで日本側の表向きの制度(法的区分・表現)であって、朝鮮人からすれば公権力を利用した命令であり強制であったから徴用と何ら変わるところはなかった。

しかし、安倍晋三(元)首相と彼を支持する右派知識人たちは、朝鮮人労働者たちや軍慰安婦たちには、国家(軍隊)の関与も強制性もなかったと主張している。

強制連行された朝鮮人労働者や軍慰安婦たちと、軍隊や企業との間で直接的な「契約書」を交わしていなかったことが、まるで近代契約法的な感覚で、国家の関与と強制性を否定する論拠にしている。

二国間条約が国家間で結ばれた信頼関係、対等関係での約束事の表現であることは、近現代国際法でのことである。植民地時代のそれは、対等な関係や信頼関係などではなく、一方の側による強要した内容を相手に守らせるためのものでしかない。

 朝鮮人として生きるために、朝鮮・故郷を離れざるを得なくなってしまった最大の理由こそ、日本の植民地支配とその余りにも過酷な政策によってであったから、彼らが日本に来た理由は、決して「自由募集」「自由渡航」「自由応募」などではなかった。

 愛媛県新居浜市の住友別子銅山に連行された朝鮮人のように、未だに遺骨も見つからず、名前も分からず、墓標すらも建てられない犠牲者は、一体どれほどいるのだろうか。

 このような強制連行者たちの無念を、忘れての日韓交流や日朝交流を言う事は、歴史を冒涜している。

 死してなお、彼らには名前も忘れられ、または日本名のままであったり、遺骨の引取り手もなく、出身故郷さえも分からずに否、遺骨さえもない朝鮮人たちの恨みを、日本列島はまだ晴らしていないのだ。

(文:愛媛現代朝鮮問題研究所)

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