朝鮮人動員の地を巡る。「高知県 津賀ダム」

(写真:津賀ダムの平和祈念碑)


高知県大正村(現在は四万十町)の山奥に位置する津賀ダム。

このダムの建設に、第二次世界大戦中、約300人の朝鮮人が動員された。飯場では、世帯で暮らしていた朝鮮人もおり、当時の記録や証言などによれば、その内100人ほどが朝鮮から強制連行された人々だった。

建設作業自体も、きつい、汚い、危険なものであったそうだ。

分かっているだけで死者は5人。その他にも、事故で、ダム本体の工事中に落下した朝鮮人の遺体を引き上げることなく、セメントを流し込んだという証言もある。

高知県内では、津賀ダムの他にも各地のインフラ建設等で朝鮮人が動員された記録が残っているが、この津賀ダムには唯一「平和祈念碑」がある。

犠牲となった朝鮮人労働者の追悼と平和を願うことを目的に建設されたものだ。



津賀ダムでの朝鮮人強制連行の問題については、高知県内の幡多(はた)地域の高校生サークル「幡多高校生ゼミナール(幡多ゼミ)」が1990年から調査している。

2009年には、幡多ゼミのメンバーはは、高知県を訪れた韓国の高校生や若者らとの交流も行ったそうだ。

若い世代がこうした日韓の歴史問題に関心を持ち、負の歴史を闇に埋もれさせないようにしていることを素晴らしいことだと思う。

私自身も、津賀ダムを訪れ、改めて歴史問題を風化させないことの重要性を再認識し、本記事を執筆している次第である。


地元の朝鮮人無縁墓を長年にわたって供養してきた中平吉男さんによれば、動員され、働いていた朝鮮人が悪さをしたといった話はない。むしろ地元の小学校では、日本人も朝鮮人も関係なく友情を育んでいたとのことであった。
また、3人の朝鮮人青年は、地元の日本人女性と結婚したそうだ。

過酷な環境の中、少しでもこうした心温まるエピソードがあるのは、せめてもの救いであるように思う。


縁あって、私は高知県内で行われた朝鮮人強制連行に関する史跡巡りツアーに参加し、津賀ダムの存在を知ったのだが、参加者の方の一人が「朝鮮人強制連行は、現在の技能実習生制度の構図と似通った部分がある」と仰っていたのが印象的であった。

その生涯が閉じるまで祖国の土を踏めなかった朝鮮人の方々の魂が、せめて祖国で安らかに眠っていることを願う。


(文・愛媛現代朝鮮問題研究所)